2007年06月26日

これから株を始める人でも稼げる美味しい錬金術

りさーち東京です。本日はランキングをごらんください。

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2007年06月14日

【私の奥の細道】李登輝(3)見極める「本質」



産経新聞 2007年6月14日


 ■台湾再生へ終わりなき旅

 「かす漬けがいい。これでお願いします」。角館(秋田県仙北市)にあるしょうゆの醸造元で、土産物を物色していた台湾の李登輝前総統は、ポケットからサッと財布を取り出すと、店主に千円札を差し出した。

 日本語で著書を出版する知日派の李氏が、日本円を持っていても不思議ではない。とはいえ紛れもなく国外の要人だ。あわてて立て替払いを済ませた日本側関係者のひとりは、「ご自分で日本円を持ち歩いていたなんて…」と驚きを隠せない。

 総統経験者であり、農業経済学の専門家でもある李氏は、11日間にわたる今回の訪日で、さまざまな側面をのぞかせた。

 李氏一家を乗せた車列は、松島(宮城県)の海景色を離れ、「山寺」の名で知られる内陸の立石寺(山形県)へと向かう。「閑さや岩にしみ入る蝉(せみ)の声」。芭蕉の有名な句はこの地で詠んだものだが、東北屈指の仏教信仰の霊山に来ても、李氏は「私は別の宗教を持っており、特に申し上げることはない」とそっけない。しかし、若葉が芽吹く新緑に話を向けると、ぐっとひざを乗り出して言った。

 「昨日は海、今日から山。正直にいってびっくりした。森の緑のみずみずしさ。山が大切にされているなぁ。台湾も国として全体的な国土保全を真剣に考えなくちゃいけない。台湾はあと50年かかるかなぁ」

 中尊寺(岩手県)に着いても同様だった。ここ平泉の地に勢力を張った奥州藤原氏が、源頼朝に滅ぼされたのは1189年のことだ。その約500年後に平泉を訪れた芭蕉は「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠った。だが、李氏の関心はもっぱら、京都から遠く離れた東北に拠点を置いた奥州藤原家の「国家戦略」にあった。「なぜ、ここに“都”を置いたか、今も解せない。昔から中国あたりでは地政学が重視されるんだが、地理的な問題に加えて財源がなければ、(国家は)
立っていけるものじゃない」

 芭蕉の足跡をたどる李氏の移動距離は760キロを超えた。道中、「芭蕉の苦労が分からない」と繰り返した。新幹線や高速道路を使った今回は「楽な旅」だったからで、「芭蕉のように、ぽつぽつと歩いてみたい」と再訪に意欲を示した。

 そして李氏は訴える。「将来を見据え本質を見極める努力が大切だ」。台湾内政に目を向ければ、目立つのは近視眼的で自分本位な論争ばかり。李氏が今後、「奥の細道」から台湾再生への「最後の設計図」を描くとすれば、「私の旅は終わりません」ときっぱり語った言葉の意味は重い。(長谷川周人)

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【私の奥の細道】李登輝(2)松島の海景色


産経新聞 2007年6月13日

 ■「やっぱり西湖より美しい」


 松尾芭蕉の足跡をたどり、6月2日から東北入りした台湾の李登輝前総統は瑞巌寺(宮城県松島町)を訪れた後、日本三景として知られる松島の海景色を一望して、感慨深げにぽつり漏らした。

 「やっぱり西湖より美しいなぁ」

 西湖とは中国浙江省杭州市にある景勝の地で、三百数十年前に、磯伝いに舟で松島にたどり着いた芭蕉もやはり、西湖と松島を比較している。

 「抑(そもそも)ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡(およそ)洞庭、西湖を恥じず」

 湾内に点在する200を超す島々の美しさに心奪われた芭蕉は、句を詠むことすら忘れたともいわれ、「洞庭湖や西湖にもひけをとらない」と最大級の賛辞を贈る。それを意識してか李氏も「西湖より美しい」とやったが、2人とも杭州を訪れた記録は見当たらない。

 政治対立する台湾と中国のはざまに立った李氏が、見たこともない西湖を引き合いに日本を持ち上げたと解するのは、うがち過ぎた見方かもしれない。そんな周囲の憶測を打ち消すかのように、曾文恵夫人は「松島や ロマンささやく 夏の海」とさわやかに詠(うた)った。李氏も続けて「私のは下手くそなんだ」と照れながらも、「松島や 光と影の 眩(まぶ)しかり」と松島の美景を詠む。

 ほほえましいシーンもあった。控えめな性格の曾文恵夫人は、俳句を詠むときも、「恥ずかしい…」と、何とも声がか細い。そこで李氏が「聞こえないよ。もっと大きな声で」と背中を押すが、どうもらちがあかない。苦笑する李氏はついに立ち上がり、「もう。僕が詠むよ」と会見場に響き渡るような大きな声で「松島や〜」と始めた。

 読み終わるや、台湾から同行した若い女性リポーターが「ゾントン(総統)、シェマ・イース(意味は)?」と、李氏本人に遠慮なく通訳を迫る。「礼節と調和を重んじ、公に奉ずる日本人の生活文化」を賛美する李氏も、この不作法に笑顔を崩さず、日本語から台湾語に切り替えて、懇切丁寧に解説を加えた。

 李氏一家が初日の旅程を終えて、別れ際、台湾メディアから「総統、バイバーイ!」の一言が飛んだ。台湾では、こんななれなれしさも珍しくない。ただ、「22歳まで日本国籍」だった李氏は、ふっと悲しげな表情を浮かべたように見えた。(長谷川周人)

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【私の奥の細道】李登輝(1)7年越しの「夢」

りさーち東京です。「人間・李登輝」を取材メモを掲載します。

産経新聞 2007年6月12日

 ■ようやく叶った「東京再訪」

 中華航空100便は成田国際空港への着陸体勢に入っていた。先頭座席「1A」の窓から、ひとりの老人が眼下に広がる房総半島を食い入るように眺めている。台湾の李登輝前総統(84)。東京再訪は22年ぶりだった。

 「東京大空襲があった1945年3月10日、私は稲毛(千葉市稲毛区)の陸軍高射学校にいた。日本の幹部候補生は高射砲の操作すらできない。この日ばかりは実戦経験を持つわれわれ(台湾出身者)の天下だった」

 李氏は当時を振り返って、「空襲の翌日はいわゆる『戦場処理』をやった。死体を運び、焼け野原となった町を整理した」とも語った。

 そして、この体験が生かされたのは半世紀後の台湾中部大地震。死傷者が1万人を超す99年9月の大災害で、現職総統として迅速な初動対応ができたのは、陸軍少尉として東京大空襲で得た経験があったからだという。

 「当時は給料が悪く食う物もない。20歳前後でしょ。腹が減るんだよ。こそこそと外に出ては落花生やメシを買った。そう、敗戦から昭和21年までは焼け野原となった新橋(港区)にぽつんと建つ一軒家に住んだ。思い出がいろいろあるなあ」

 「22歳まで日本人だった」李氏にとって、東京一帯は若き日の記憶がいっぱい詰まった所だ。そこへの再訪は、厚い政治の壁に阻まれ続けた。そして、やっと実現した。

日本招請の立役者、国際教養大学(秋田市)の中嶋嶺雄学長は「当たり前のことを当たり前にできる第一歩だ」と評価する。

 投宿先はホテルオークラ(港区)。副総統だった22年前の1985年、李氏が中嶋学長と初めて出会った場所だという。李氏が敬愛する「台湾紀行」の著者、故司馬遼太郎の定宿でもあり、警備上の観点からも、当然の選択だったといえる。

 李氏は深川(江東区)にある芭蕉記念館から、松尾芭蕉の「奥の細道」をたどる今回の旅の一歩を踏み出した。振り返れば、李氏が公に「奥の細道」を口にしたのは、病気治療のため総統退任後としては初めて来日した2001年、滞在先の大阪での散歩途中だった。

 中国は、李氏を「独立派の頭目」と見なし、訪日問題で日本に圧力をかけている。「奥の細道」発言に、それをかわす計算が込められていたとすれば、李氏は7年越しで狙い通り東京立ち寄りの「夢」を果たしたことになる。李氏はそんな積年の思いを、訪れた深川で披露した俳句に託した。

 「深川に 芭蕉慕ひ来 夏の夢」

                  ◇

 台湾の李前総統が5月30日から11日間、「奥の細道」ゆかりの地を探訪するなどのため、退任後3度目の訪日をした。より自由な発言が認められた今回の滞在で、李氏が発信したメッセージは何だったか。同行し間近で見た「人間・李登輝」を取材メモから報告する。(長谷川周人)


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2007年06月12日

2007「ミス・ユニバース(R)・ジャパン」森理世さん優勝! 


2007「ミス・ユニバース(R)・ジャパンコンテストで森理世さん優勝!

今朝もTVで森理世さんが出ていましたが大変快挙だと思いますが不思議なのは総理はじめ反応がないのことです。

世界大会で優勝したのですから(これまではインド人とかが多い)もっと褒めてもいいでしょう。

反応が少ないのは海外留学で成長したためではないか?
TVでの発言を聞いていても最近の日本の女の子ではないからか。

でも本人は日本人なのです。総理大臣賞くらいは出してもいいだろう。下記は公式ホームページです。

http://www.missuniversejapan.com/

下記サイトにはあなたの意見も入れられますよ。
http://video.ask.jp/index.do?banner_id=lp_o_muj2007

       万歳!おめでとう森理世さん   りさーち東京

 
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2007年06月10日

海外二ユース


りさーち東京です。今回は海外各地からの二ユースを掲載します。大変役に立つ人々がいるでしょう。

1.タイから情報発信
○タイの情勢はますます混迷している。今回はその分析。タクシンは時々日本にも出没しているそうである。

昨年9月に軍事革命政権に移行してからのタイはいろいろ損なクジを引いたといえる。
軍事クーデターの真相はNHKの「クローズアップ現代」でも報告されたとおり、
かなりタイ軍部としては急のことだったようで、軍部としては「想定外」タクシン
としては、「想定内」だったようである。

タクシンはおそらく、アメリカ滞在中に軍事クーデターで政権を奪取されるところまで考えていたに違いない。
その後のシナリオは国際的なお墨付きを経た選挙を実施し、自ら政権の座に戻ろうとしたと考えられる。実際イギリスから頻繁に国連監視団による早期選挙を訴えいたようだ。

現在のスラユット元陸軍大将による政権も、またきわめて国民の評価は低い。
もともと選挙を実施するまでの暫定政権だから、皆大臣も何もやりたくないのは
仕方ない。特にタクシンの不正蓄財訴追が進まない。
がんばっているのは元会計検査院長でタクシンにいろいろいじめられたジャルニー
女史である。この方はなかなか立派な人である。
追求が進まないのは、意外と政権の座を追われて亡命生活をしているタクシンが予想以上に影響力を持っていたからである。
タクシンは自らの子分を使って、タクシー運転手、チエンマイの民衆ラジオ局など
から盛んに現政権に揺さぶりをかけていて、現政権側もことさら過剰反応の呈である。

スラユット内閣閣僚も不正蓄財訴追委員会のメンバーも、選挙ですぐ帰ってくるかもしれないタクシンとその子分を恐れてなかなか追及が進まないばかりか、前政権の政策を否定するものもごく限られていて、ここ数ヶ月政権は混乱していた。

この状態を何よりも危惧されたのが賢明な国王陛下である。

国王は前回06年4月の総選挙の無効を判定する憲法裁判所の判断が出る前に、憲法
裁判所の判事たちを呼んで、訓示をした。

これ以上、国が混乱するような判定を下さないよう良く判決を熟考してくれという
ものだったが、これを捉えた海外のメディアは「国王が裁判に干渉された」という
論調であった。
これは国王陛下の高度なパフォーマンスであることは国民は知っている。

実際5月30日に下された憲法裁判所の判決はスラユット首相も驚くほど意外なもの
だったが、大変賢明なものだった。

国王陛下のご訓示が無ければ、体勢の見方通り、タイ・ラック・タイ党とタイで
一番歴史が長い政党である、民主党は双方とも解散させられ、一層国政は混乱した
であろう。

5月30日の憲法裁判所の判決はなんと正午ころから、夜10時までずっと判決文の読み上げで、タイ・ラック・タイ党の解党の判断が読まれたのは人々が家路について
すっかり家に帰ったころであった。

これは以前から両党(あるいはどちらかの政党)が解党になると街が混乱し、暴動
が起こるという噂が蔓延しており、裁判所は何人もの判事が代わるがわる判決文を
10時間以上かけて読み上げ、混乱を救ったのであった。

結局タイ・ラック・タイ党だけが解党となり、党の幹部だった者と去年の選挙の不正に手を貸した少数政党の関係者111人が公民権剥奪となり、(筆者の理解では選挙権、被選挙権ともに行使できない)旧タイ・ラック・タイ党の主要メンバーは12月に行われる総選挙に立候補できず、にわかに民主党の若き党首アピシットが歴代最年少の首相に選ばれる公算が強くなった。これでとりあえず国政混乱の不安要素はだいぶ駆除されたようである。

またしてもタクシンは賢明な国王にしてやられたわけである。

だいたい彼はタイ社会を甘く見ている。確かにタイ人気質を知り尽くしたタクシンとその仲間たちの政策は実にスマートで迅速、少ない予算で多くの人たちに満足を与える、経営学的に見ればお手本のような手法だった。・・・が、誰でもその手で付いて来ると思ったのが大きな間違いだった。

かといって、民主党が国民の大半の支持を集めているわけではない。
民主党はいつも党首はいいのだが、"まわり"がよくないという評判だ。
チュアン氏が首相だった時代もいつも子分に足を取られていた格好だった。

アピシットは確かに有能な人だが、英国で勉強した後、社会人としての経験もあまり無く、国民としては民主党政権も不安の様である。実際92年から政権を担当したが、物事の決定が遅く、民主主義のルールを重視したチュワン氏は亀にたとえられるという気の毒な経緯があった。

今回も国王陛下の賢明なご判断と、国民のバランス性の確かさで救われたタイだが、政治的安定はまだであり、追い討ちをかけているのは景気の低迷だといわれる。
幸いなことにマクロの指標が悪いわけではないので、時期心理的な不安が解消すれば経済もよくなるのでは。

それにつけても不安なのがタイ最南部の不穏な動きである。これについて、情報も見識も持ち合わせていないが、ヤラーやナラティワーッに親切にしてくれた友人も
居るので、あまり事態が深刻化しないことを祈るのみである。

2.ニューヨーク
『うつりかわるBrooklyn』

先日、日本から遊びに来た友人の持っていたガイドブックをみてびっくりしました。ManhattanだけではなくBrooklynまでもが特集されていたのです。それも、比較的よく知られているDUMBOやWilliamsburgだけでなく、ParkSlopeやSmithStreetまで紹介されていたのですから、時代はうつりかわったものです。

このWebサイトでもBrooklyn生まれの映画を紹介するページがありますが、その中で映し出されている1920sから1980sのいわゆる”雑多”で”活気のある”“ごちゃごちゃした”Brooklynというのはもう消えつつあるのかもしれません。

そう言えば、私の住むブロックひとつとってみても、この一年でマンハッタンからの移住者が急増しているように思えます。古い建物は外壁だけを残して新しいアパートに改装され、新しい人々を迎えています。サイドウォークもこころなしかきれいになったような。 
2007-05-17

3.マニラ
● ペソ高ですね。

というわけで多くのBLOGで書かれているようにペソ高が進んでいる。先週末みたのではドルーペソが46ペソ/ドルを一時切っていた。年初はたしか49とか48ペソ/ドルとかいっていたから6,7%も年初からドルは下落している。

新聞によるとフィリピンペソはアジアの通貨の中でインドのルピーに次いで2番目に年初から上昇している通貨でその記事には4.6%上昇したと書いてあった。

それはドルーペソの話なのでドル−円ということになれば円安に進んでいるからもっと下落が激しい。

要は日本の個人の貯蓄が少しずつ外国の債権、株式に変わってきているということだ。

僕も一年前から始めたペソ建てとドルの国債と株の投資信託が10%くらい上がったし、それにペソの円に対する上昇を加えると全体では円換算にすると20%上昇しただろう。

それに比べて僕が投資している日本の新興市場は半分くらいになってしまった。醜いものだ。

日本で新興市場と読んでいる会社の成長率よりも中国やアジアに投資した方がずっと儲かるものだから当然投資家をひきつける力は少ない。

それにしても円は安くなりペソでの生活が割高だと感じられるようになってきたよく考えると生活費なんか円換算で軽く20万円くらいは使っているから日本で暮らすよりも割高になってきてしまっている。
僕のうちの家賃とかは3万2千ペソだから円にすると8万円もするし、電気代だって2500ペソくらいかかるから6千円を優に超える。

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2007年06月09日

李登輝先生のご講演

本日2007年6月7日 ホテルオークラにおいて、李登輝先生のご講演が「2007年とその後の世界情勢」というタイトルで行われました.

世界情勢の基調は米国がイラクとイランで身動きがとれなくなる中、中国と露西亜が台頭してきている。

東アジアは選挙の年をむかえ、内政に目が行き、2007年は比較的安定した時期にあたるだろう。

この中で日本は今までの特殊な国から普通の国になっていくだろう

台湾の国会議員選挙と総統選において、中国は従来のように国民党のみに影響力に浸透しようとするのではなく、民進党にも影響力を組み込もうとするだろう。

米国と中国は太平洋の制海権をかけ宿命的に対立する構造にあるが、2007年の段階においては、中国は米国との直接対決を避け、東アジアにおける支配権を拡充する行動をとる。

米国は、ブッシュ大統領がイラクとイランに深入りしたことにより、国際政治における影響を減退させるサイクルに入っており、新大統領がこのサイクルを脱するまで東アジアにおいても影響力が限定される局面が続く

このため、東アジアでは日本と中国の主導権を争うことにある。
本日、李登輝先生の靖国神社参拝が実現したように、安倍首相のスタンスは一見靖国参拝で中国に譲歩したようにも見えるものの、その実は中国の干渉を排除するものである。一方、日本の防衛省大臣よる米国のイラク政策への批判も公表されている。日本は変わりつつある。普通の国になる事で中国との主導権争いに勝利すべきである

中国の経済は日本のバブルや台湾やアジアをおそった通貨危機と同じ経済危機直前の様相を呈している。

2.質疑応答のメモ

Q 渡辺利夫先生 

中国の経済危機に際して農民と農村の疲弊については

A 李登輝先生 

農民の所得の問題と地域間の格差の2つの大きな問題が存在する。農民の所得の問題に際しては、中国共産党政権は土地の私有を認め始めている地域間の格差については、有効な対策がとられていない

Q 櫻井よしこ先生 

 靖国問題や歴史認識にみるように中国は度々、前言を身勝手に翻し、約束を一方的にねじ曲げるが、私たちはこのような中国をどう理解しどうつきあえばよいのか

A 李登輝先生 

 中国の歴史は一進一退の循環的停滞を繰り返し、中国人は自らを世界の中心=中華と称し、中国人と見なした王朝が過去に支配したエリアを固有の領土と称する。このような拡張主義的な固有の領土という発想は中華民国憲法にもみられるし中国人は子供のころから、そのような発想を教育され刷込まれている。

 (このため、対等で、約束を守るべき相手として他者をみることができない、という主旨だと思います)このため、中国では道義が廃れるが、石平先生が中国で見失われた孔子の教えが日本に息づいていると感嘆したように、日本には道義が息づいている。その日本の常識では中国を理解できないし、中国に対応してはいけない。中国人を理解できるのは中国人である。

 この一進一退の循環的な停滞を脱するためには、精神の根本から変えることが必要であり、中華民国総統として私は民主化を進めた。(中華民国国民という意味での)中国人にも民主主義は運営できたのである。中国人にも民主主義は運営できる。中国が他者を対等な存在とみとめ約束をまもるようになるには、精神の根本からかえる必要がある。

→李登輝先生の発言を敷衍すると中国人が約束を守り信頼されるようになるのは、中国の民主化が必要となるのかもしれません

Q 中島学長 

本日、念願の靖国神社参拝をなさった訳ですが。

A 李登輝先生

 私の父は12年前98歳で亡くなりました。兄を愛するあまり、父は生涯、兄の死を信じませんでした。父が兄の死を受入れない以上、私の家には、位牌も遺物もありません。

本日は兄が合祀されている靖国神社を参拝することができ、積年の思いを遂げることができました。

 記者会見でも申し上げましたが、靖国神社参拝は私の個人として兄に対する思いによるものであり、政治的なものでもなく、歴史認識に関わるものでもないのです。

(このあと激しい拍手がつづきました)

中島学長:我が国は李登輝先生に何度でもおこしいただける国でありたいと思います。本日は大変すばらしいご講演をいただき、まことのありがとうございした

 中島学長による謝辞とともに、李登輝先生に評論家の大宅映子さんから花束が贈呈され、奥様に日下公人先生から花束が贈呈され、講演が終了しました。

 聴衆の皆さんは講演に大変感銘をうえ、李登輝先生がお兄様の眠る靖国神社に参拝できたことを喜び盛大な拍手を贈っていました。

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2007年06月08日

李登輝前総統の講演「後藤新平とわたし」の要旨

りさーち東京です。6月1日午前、六本木の国際文化会館で行われた台湾の李登輝前総統の講演「後藤新平とわたし」の要旨です。

【李登輝氏】 「わたしは後藤新平の台湾施政を民主台湾の政治の土台にした」
「後藤新平の生誕百五十年を記念して全集が藤原書店から刊行され、「後藤新平賞」が新設されたことは画期的で、新しい時代の指導者育成を目的とする栄誉に初回に輝けたことを光栄に思う。
 後藤新平は1857年生まれで、1929年に没した。私は1923年生まれ、交差していないが、精神の空間で結ばれている。

 後藤新平は1898年3月から1906年9月まで、8年7ヶ月を台湾民政長官として過ごし、未開だった台湾の近代化のために成し遂げた功績は大きい。その生い立ち、功績、人間としての偉大さを私は深く心に刻み込んできた。
 後藤は貧窮のどん底から立ち上がり、医者から衛生局長となり、1895年児玉源太郎の推挙によって台湾へ赴任した。かれの復員傷兵の帰国に際しての検疫能力を高くかったから、とされる。

 当時の台湾は匪賊が跋扈し、ペスト、赤痢、チフス、毒蛇が蔓延して、不衛生極まりなく、漢族と原住民部族の対立があり、産業は未開のまま、およそ近代化には遠い状況だった。
 後藤は台湾近代化、台湾の開発に何が目的であり、その目的達成のためには何が大切かを考えて、明治政府の全面的な支援の元に諸改革を実行に移した。

 第一は人材の確保であった。1800人の無能の役人を馘首し、新しい人材を適所に配置した。この中には新渡戸稲造も含まれていた。

 第二に匪賊対策を従来の路線から変更し、単に匪賊を退治するのではなく労働の現場へ配置しなおして、かれらを生産、建設に役立てて任務を教えた。

 第三に「保甲制度」、つまり地方自治の確立である。
 住民の自治を尊び、交通を整備し、戸籍制度の充実と整備をなした。同時に自治の責任を持たせた。

 第四に劣悪な衛生環境を改善し、マラリアなどの退治のために血清の研究と同時に田舎にも医者を配置して政府派遣として医療行政を実地した。都市部では下水道の整備を急いだ。

 第五が教育の普及である。
(ほかの列強は現地植民地を搾取するばかりで教育をおざなりにしたが)日本は台湾の植民地経営を教育から開始したのだ。

 第六に開発近代化の財源を確保するために地方債券を発行し、内地(日本)の国会の承認を得た。
これにより土地改革がすすみ、鉄道が敷設され、基隆港が整備された。

 第七は「三大専売法」を施行させたことだ。
阿片,樟脳、食塩、酒、煙草が専売となり税金収入が公債の返済に充てられた。

 第八に「台湾銀行」が創設されて台湾銀行券が流通、また「度量法」が統一され、それまで台南と台北で異なった重さや長さの図り方が統一された。

 第九は産業の奨励で、砂糖、樟脳、茶、こめ、阿里山森林の開発が進められて開発が軌道に乗る。

 第十は貿易の拡大であり、そのために外国資本が独占していた商船の運搬を民間にも広げた。

 第十一に後藤の「南進政策」がある。
当時、アモイ、香港への投資も開始され、アモイには台湾銀行支店が設置を見た。

 第十二に国民の生活習慣のなかで弁髪、纏足など悪習を禁止した。
 
 後藤はその後、満鉄総裁として満州に赴くが、もし、台湾に留まっていれば、台湾の行政はさらに異なったレールを走ったことと思われる。


 ▼なぜ、日本人はああまで情熱的だったのか?

 生誕百五十年を待たずに後藤新平の研究がおおいに進み、許文龍氏をして、「台湾への政策は素晴らしかったけれども、なぜ、日本人はあれほどの情熱を燃やして台湾の近代化に努力したのか」と問いかけている。

とくに拓殖大学で、この研究が進められた。
池田憲彦前拓殖大学教授は「まず明治天皇の御叡慮があり、新しい版図への使命観があった。みずみずしい感受性と、ひるまない精神、つまり『肯定的思考』が多くの勇断を運んだと指摘している。

 いま84歳になる私は、台湾人として生まれた悲哀と、同時に22歳まで日本人だった私が、日本の教育を受け、『肯定的人生』という人生観を体得して、農業の改革に着手し、その後、台北市長、台湾省省長を経て、副総統、そして十二年間にわたって総統として、一滴の血も流さないで台湾に民主化という・#38745;かなる革命・#12434;もたらすことが出来たことを一生の誇りとする。
これらは後藤新平の台湾施政への哲学的基礎の上になりたっており、今日の台湾の民主と繁栄が築かれてきたのだ。

 その精神的な繋がりの空間で、世代と時間をこえての共通の価値があり、だから私は後藤新平を敬愛してきたのである」。

感動的な講演にしばし拍手が鳴りやまなかった。

台湾宏観テレビが李登輝氏の日本訪問を報道、下記でご覧になれます。
http://www.pts.org.tw/macroview/news/main.php?fZone=22

5月30日における李登輝氏来日初日の空港、ホテルでの歓迎の模様
→「日本東京李登輝首日」をクリック

5月31日における芭蕉記念館参観の模様(李氏の日本語の発言も)
→「李登輝訪日第二天」をクリック

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2007年06月06日

【日本の教育と私 李登輝】(6)保存版


日本の教育と私 李登輝(6)生活の中の普遍的な美学

産経新聞 2006年9月19日

 日本文化の優れた面は、かかる高い精神性に代表される、即ち武士道精神に代表される日本人の生活にある哲学であると信じます。心底からこみ上げる強い意志と抑制力を持って個人が公のために心を尽くす以外に、また日本人の生活にある美を尚(たっと)ぶ私的な面があることも忘れてはいけません。

 藤原正彦先生は「国家の品格」の書物の中で、日本人の生活内容を「情緒と形の文明」と強調しています。日本人の生活は、自然への感受性と調和であり、もののあわれ、さびとわびを生活の中に見つけ出す、日本人独特の、また、人間として普遍的になくてはならない美学があるのです。

 昔、中国で老子は「道可道 非常道」と、道は口で言えるものでなく、口で言えるものは永遠に道ではないと言っています。日本人は生活において花を生けるには花道を、お茶を飲めば茶道と言う様に、生活におけるあらゆる行為が道となっています。それが俳句や和歌という様な形で表現されて、自然との間に共生的関係を持っています。

 これは世界の人々にはなかなか分かるものではありません。私が「『武士道』解題」を出版し、そして更に奥の細道を歩きたい気持ちは、日本文化の優れた精神性と美学的日本人の情緒を、何とか外国人や今の若い日本の人々に伝えようと考えたからです。

 直感的に、私は芭蕉の著作「奥の細道」は、この様な日本文化の美を丁度よくまとめたものであると思っています。

 奥の細道で平泉に到着した芭蕉と曽良が見たのは金鶏山でした。そして昔を偲(しの)びつつ、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くして詠んだのが「夏草や兵どもが夢の跡」でした。時間を越えて華やかな過去がすべて一つの草むらにしか過ぎません。山寺を訪れては、蝉の声の潮と周囲の静けさの中で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠みました。自然との調和、心にしみこんで何の説明もいりません。

 芭蕉は旅情のほてりが醒(さ)めやらず、最後の気力をふるい起こし、海岸沿いに越後の国に入ります。出雲崎に泊まった時に詠まれた「荒海や佐渡に横たふ天河」は、壮大な景観と佐渡への思い入れの入った句でした。

 以上の3句は、時間と空間、存在している景観を十分に情緒と形で表した日本人らしさの代表的なものでしょう。

りさーち東京
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2007年06月05日

【日本の教育と私 李登輝】(5)保存版


日本の教育と私 李登輝 (5)誠意ある実践こそ日本精神 

産経新聞 2006年9月18日

 武士道とはかつて日本人の道徳体系でした。封建時代には武士が守るべきことを要求されたもの、もしくは教えられたものです。
 それは成文法ではない、精々、口伝による、もしくは数人の武士、もしくは学者の筆によって伝えられた僅かの格言があるに過ぎず、むしろそれは語られず、書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法たることが多いのです。不言不文であるだけ、実行によって一層強い効力が認められているのです。

 それはいかに有能なりといえども1人の人の頭脳の創造ではなく、またいかに著名なりといえども1人の人物の生涯に基礎するものではなく、数十年、数百年にわたる武士の生活の有機的発達でありました。それがやがては日本人の行動基準となり、生きるための哲学にもなりました。

 具体的には、武士道精神は公の心・秩序・名誉・勇気・いさぎよさ・惻隠の情・躬行(きゅうこう)実践を内容にしつつ、日本人の精神として生活の中に深く浸透していったのです。

 日本精神について、台湾嘉南大土●、烏山頭水庫(ダム)を建設した八田與一氏を例として述べましょう。

 嘉南大●の灌漑面積は15万ヘクタール、烏山頭ダムの水源建設総工事費は400万円、当時の台湾総督府の年間予算に匹敵する大工事でした。工事期間は10年、32歳の若さでこの巨大工事を成し遂げた八田氏は、この工事でソーシャルジャスティスを実践、日本人精神を発揮しました。

 烏山頭ダムと濁水渓から取り入れた水は合計1億5000万トン。しかし、これでは15万ヘクタール全域に給水することは不可能でした。

 八田氏は普通の土木工事の技術者と違い、『ダムと水路を完成すればそれで終わりである!』とは考えませんでした。彼は農民のためにダムや水路を造るのであれば、何とかして農民にあまねく水の恩恵を与え、生産が共に増え、生活の向上があって初めて工事の成功であると考えました。彼はこのために、三年輪作という耕作方法を考え、水をすべての農民に行きわたる方法を講じました。

 嘉南大●の工事で134人もの人が犠牲となりました。完成後に殉工碑が建てられ、その碑には全員の名前が台湾人、日本人の区別なく刻まれていました。

 関東大震災の影響で予算が大幅に削られ、従業員を退職させる必要に迫られたことがありました。その時、八田氏は幹部の『優秀な者を退職させると工事に支障が出るので、退職させないでほしい』という言い分に対し、『大きな工事では優秀な少数の者より、平凡な多数の者が仕事をなす。優秀な者は再就職が簡単にできるが、そうでない者は失業してしまい、生活できなくなるのではないか!』といって、優秀な者から解雇しています。

 八田夫婦が今も台湾の人々によって尊敬されるのは、義を重んじ、誠をもって率先垂範、実践躬行する日本的精神が脈々と存在しているからです。八田夫婦の例を挙げて、私がここで皆さんに申し上げたい事は、日本精神の良さは、口先だけではなく、実際に行う、誠実をもって行うというところにこそあるのだということです。

●=土ヘンに川

りさーち東京
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2007年06月04日

【日本の教育と私 李登輝】(4)保存版


日本の教育と私 李登輝 (4)進歩と伝統築いた武士道精神

産経新聞2006年9月17日

 私が初めて新渡戸先生の「武士道」−日本人の精神−という本に出会ったのは、旧制の台北高等学校時代でした。武士道などというと、封建時代の亡霊のように言う人もいますが、この本を精読すれば、そのような受け止め方がいかに浅薄なものか、すぐにわかるでしょう。

 そしてこれに解説を加えた私の「『武士道』解題」の中で、声を大にして武士道精神を再評価しようと言っているのは、日本および日本人本来の精神的価値観を今一度明確に想起して欲しいと祈るような気持ちで切望しているからです。民族固有の歴史とは何か、伝統とは何かということを、もう一度真剣に考えてほしいのです。

 文化の形成は、「伝統」と「進歩」という2つの概念を、いかに止揚(アウフヘーベン)すべきかという問題ですが、「進歩」を重視するあまり「伝統」を軽んずるような二者択一的な生き方は愚の骨頂だと思うのです。

 最近の日本では、一般的に、物質的な面に傾いていると言われますが、その結果、皮相な「進歩」に目を奪われ、「伝統」や「文化」の重みを見失うことがあります。「伝統」という基盤があるからこそ、初めて「進歩」が積み上げられるのであり、伝統なくしては真の進歩など、あり得ないのです。

 戦後、1946年、私は台湾人に生まれ変わるために日本を離れた後、「新日本」が大きく変わったことも承知しています。そしてその変化が、大きな進歩をもたらし、今日の世界第2の経済大国を造り上げる原動力のひとつになったことも、また否定できない厳然たる事実だと思っております。

 しかし、そのために最も大切な「伝統」まで捨て去ってしまったら、それはもはや本来の意味における「進歩」ではあり得ないのではないでしょうか。

 有史以来、日本の文化は大陸などから滔滔(とうとう)と流れ込む変化の大波の中で、驚異的な「進歩」を遂げ続けてきたわけですが、結局、それらの奔流に飲み込まれることもなく、日本独自の伝統を立派に築き上げてきました。

 日本人には古来、そのような希有なる力と精神が備わっているのです。外来の文化を巧みに取り入れながら、自分にとってより便利で都合のいいものに作り変えていく――このような「新しい文化」の創り方というのは、私は一国の成長、発展という未来への道にとって、非常に大切なものだと思っているのです。

 そして、こうした天賦の才に恵まれた日本人がそう簡単に「武士道の精神」や「大和魂」といった貴重な遺産や伝統を捨て去るはずはないと私は固く信じています。

 では、日本文化とは何か?その結論を言わなければなりません。私は高い精神と美を尚(たっと)ぶ心の混合体が日本人の生活であると言わざるを得かった。

               りさーち東京,reserchtokyo

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2007年06月03日

【日本の教育と私 李登輝】(3)保存版


日本の教育と私 李登輝】(3)多感な時期、人生観に強い影響

産経新聞 2006年9月16日



 私は正式に日本教育を長期にわたって受けた他、家庭の事情や個人的要素が、また強く私の以後の人生観や哲学的思考、日本人観に影響を及ぼしました。1つは父の職業の関係で、公学校6年間に4回も転校し、その為、友達がなかなかできませんでした。1人の兄も故郷の祖母と暮らしていて、家では私1人だけでした。

 この経験は多感な私をして、いささか内向的で我の強い人間にしてしまったようです。友達がいない代わりに本を読むことや、スケッチをすることによって時間を過ごすようになりました。

 自我意識の目覚めが早い上に、この様な読書好きが、更に自我に固執することになり、強情を張って、母を泣かせたり、学校でも学友との争いや矛盾が起こったりする様になりました。激しい自我の目覚めに続いて、私の心の内に起こってきたのは「人間とは何か」、「我は誰だ」、或いは「人生はどうあるべきか」という自問自答でした。これは母がある時、私に「お前は情熱的で頑固過ぎるところがある。もう少し理性的になってみたら!」と諭してくれたことも関係していました。自分の心の内に沸き起こるものに対して、もっと自ら理性的に対処しようと考えたのです。

 そのような少年にとって、古今東西の先哲の書物や言葉にふんだんに接する機会を与えてくれた日本の教育、教養システムほど素晴らしいものはありませんでした。禅に魅せられ、座禅に明け暮れたのもこの頃のことですし、岩波文庫などを通して東洋や西洋のあらゆる文学や哲学に接することができたのも、当時の日本の、教養を重視した教育環境の中に、そのような深い思索の場が用意されていたからであると信じています。

 私は日本で最近何冊かの書物を出版しました。それが政治評論であれ、文化的なものであれ、殆どこの若き時代に得た考え方を繰り返し強調し、述べたものに過ぎません。この中で今、日本で一番に関心を持たれているのは新渡戸稲造先生が1900年に英文で出版した「武士道」−日本人の精神−を解題して書き直したものです。

 新渡戸先生との出会いの前にも、既に多くの先哲との出会いがあったわけです。そのうち、日本だけの例を挙げれば、私が自我に悩み、苦行しようと、禅によって自己修練に励んだ時に、鈴木大拙先生の「禅と日本文化」等の著作が非常に役に立ちました。臨済禅師の流れを継ぐ鈴木先生は、この東洋哲学としての禅思想を一早く欧米に紹介すると共に、日本文化に禅思想が深くかかわっていることを詳細に述べています。

 懸命に鈴木先生の本を読み漁っているうちに、明治時代における日本精神のもう1人の体現者である西田幾多郎先生に出会いました。文学の方面では夏目漱石先生の偉大な思想的貢献を忘れてはなりません。明治44年頃、ロンドンからの帰国後における「私の個人主義」を中心とした創作が徐々に「則天去私」に移り変わる過程は本当に偉大な精神転換でした。

りさーち東京
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2007年06月02日

【日本の教育と私 李登輝】(2)保存版


日本の教育と私 李登輝】(2)新知識が儒家の呪縛を解いた

産経新聞2006年9月15日


 台湾総督府が1895年4月に開庁されましたが、その年の7月には今の士林という所に「国語学校」が開校されました。植民地統治を教育から始めたことは世界にも例のないことです。

 日本による新しい教育を台湾に導入したことによって、伝統的な書房や私塾次々と没落し、台湾人は公学校を通して新しい知識である博物・数学・歴史・地理・社会・物理・化学・体育・音楽等を吸収し、徐々に儒家や科挙の束縛から抜け出すことができました。そして世界の新知識や思潮を知るようになり、近代的国民意識が養成されました。

 1925年には台北高等学校が成立し、台北帝国大学は28年に創立され、台湾人は大学に入る機会を得ました。直接内地である日本に赴き、大学に進学した人もいました。こうしたエリート教育の機構整備以前に、既に医学校・農業専門学校・商業・工業の職業学校が数多く設立されており、これによって台湾のエリートはますます増え、台湾社会の変化は日を追って速くなりました。

 教育によって近代観念が台湾に導入された後、時間を守る、法を守る、金融貨幣・衛生・新しい経営観念が徐々に「新台湾人」を作り上げていきました。近代化社会に於ける近代化観念の影響の下、台湾人は新しい教育を受け、徐々に世界の新思潮と新観念が分かるようになりました。

 20年頃になると、台湾人は西側の新思潮の影響を受け、各種各様の社会団体を作り、議会民主、政党政治、社会主義、共産主義、地方自治、選挙、自決独立など、様々な主張をし、『日本は台湾人に当然の権利を与えるべきである!』と要求しました。

 そして台湾は日本の教育の下に、民主化の要求として、政治運動の拠点とな「文化協会」が台湾人の手によって初めて組織されたのは23年のことでした。

 この年に私は台北の北部にあたる淡水郡の三芝庄に生まれました。日本の教育が私に与えた影響は、台湾の上述した様な環境と時代的意義があったと思います

リサーチ東京

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2007年06月01日

【日本の教育と私 李登輝】(1)保存版

りさーち東京です。台湾の李登輝氏の来日の機会に李登輝氏の原稿が手元にありますのでそのまま掲載します。1-6まであり掲載は6回に渡ります。

本日は李登輝氏の貴重な原稿を掲載します。氏の高齢化を考えると保存版としたい、と思います。そのまま掲載します。

日本の教育と私 李登輝

2006年9月14日 産経新聞

訪日延期 李登輝氏、講演原稿寄せる

 【台北=長谷川周人】台湾の李登輝前総統(83)は9月中旬に予定していた訪日を延期したのに伴い、その際に東京で行う予定だった講演の原稿全文を、「日本の若者、そして国づくりのためにお役に立ちたい」と、産経新聞に寄せた。李氏の寄稿の全文を8回にわたって紹介する。

 原稿は、李氏が日本側の要請を受けて、訪日の成否が微妙に揺れていた8月中旬に執筆し、同下旬に台北市内で開かれた日本の自民党訪台団との会合で披露されました。李氏はそれを骨格とし、さらに推敲(すいこう)を重ね、完成させた。

 原文は、旧漢字と旧仮名遣いによる鉛筆書きの精緻(せいち)な文章で、政治色を排し、一語一句に80余年の人生に刻まれた日本への思いがにじんだものになっている。

 李氏はこの中で、台湾統治を教育から始めた日本の植民地政策を、「世界にも例がない」と評価し、自らの実体験を踏まえて、「台湾人は日本教育を通じて世界の新思潮を知った」と指摘。さらに「武士道精神に根ざした実践躬行(きゅうこう)の日本精神」を、「日本人本来の価値観として今一度想起してほしい」と訴えている。

 執筆に向け「若き日本人にメッセージを残したい」と話したという李氏は、今回の日本旅行で訪問を予定していた「奥の細道」ゆかりの地に抱く思いを特筆。「日本文化の優れた精神性と美学的情緒を何とか外国人や今の若い人々に伝えようと考えた」と訪問を希望した真意を明かしている。

 李氏は当面、訪日を見送る考えであり、混迷する台湾政局への対応に専念すものとみられる。

************************

【日本の教育と私 李登輝】(1)培われた生命と魂救う考え

 ご来賓の皆様、こんにちは! ただ今ご紹介を受けました李登輝です。

 この春に体調を崩し、5月に予定していた日本旅行を見送ることになり、皆様にもご心配をおかけしました。しかし、医師の指示に従って静養を続けたところ、ようやくここまで回復し、ここ東京で皆様にお会いすることができました。

 念願の「奥の細道」を訪ねる夢は、体調の問題もあって今回は叶(かな)いませんが、今日は「日本の教育と私」をテーマに、「奥の細道」に見る日本精神についてお話し、これからの国造りに役立て頂ければと思います。

 ご承知の方も多いと思いますが、1994年の春、歴史作家司馬遼太郎先生『台湾紀行』の著作を終えて再度台湾を訪問なされました。その時、特に時間を作って私を訪れて、対談が行われました。

 私はその時、家内に司馬先生との話はどんなテーマがいいかなと話したら、「台湾人に生まれた悲哀にしましょう」と言いました。400年以上の歴史を持つ台湾の人々は、自分の政府もなければ、自分の国というものを持っておらず、国の為に力を尽くすことさえもできない悲哀を持っているからです。

 1923年に生まれた私は今年で満83歳になります。そして台湾人に生まれた悲哀を持ちつつも、その一方で、外国の人には味わえない別の経験を持っていることは否めません。それは、生涯の中で多種多様な教育を受けたことです。22歳までは日本の徹底した基本教育、戦後4年受けた中国の大学教育とアメリカ4年間の留学です。

 中国の4年間にわたる大学教育も、結局は日本人の教授による日本教育の延長でした。アメリカにおける前後2回の留学は、職業的な面での教育でした。

 台湾人に生まれた悲哀と言っても、このような多様な教育、特に日本の教育を受けていなければ、現在の私には、おのれの生命と魂を救う基本的な考え方は得られなかったと思います。日本という国の植民地でありながら、台湾は日本内地とは変わらない教育を与えられたが故に、非常に近代化した文明社会が作り上げられたのです。

                       りさーち東京

posted by 梅一番 at 11:32 | 福岡 ???? | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記


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